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思い出ホーデン侍従

田舎の中学2年生になった頃、洒落た外地旧京城で育った親父は、戦後の物資のない時代にどこからか色々な雑誌を手に入れて、大阪に移住した人から買ったc中古家の茶室風な2階のネズミが出入りする風な戸棚に積み上げていた。

思い出すだけでも粋な当時のエロ誌「アマトリア」、大正ロマン美人画が豊富だった雑誌「大正ロマン」、戦後の日本科学誌の先駆であろう「アメリカンサイエンス」、当時の週刊誌「名前は忘れた」などがあって、何も知らないのにマセタ中学生の自分は貪り読んだものだ。

今東光が初めて雑誌に載った小編は、戦地から田舎に帰る復員兵が列車の前に座ったやつれた女性に気ずかう内に、帰る当てもないと知って高田の馬場で一緒に降りて安宿に泊まることになる話だった。ご存知今東光はその後大作家になられた。

自分には、そのころから助べえ根性が芽生えたのだろう。

ホーデンという言葉もそのころ知ったか?

未だに「ホーデン侍従」という題名を覚えているところを見ると、尾崎士郎の本を読んだのかも知れない。

中学校の図書館では「人間の歴史」という何冊かの組本の虜になって性に芽生えたと見える。

思いで「ホーデン侍従」をネットで調べてみた。アマゾン古本に数冊あった。

早速一番安いのを買ってみた。

唱和24年刊の古びたB版の箱入り単行本で、日焼けページの旧漢字交じりの小さい活字は中学時代の読書を思い出させる。内容はその後の尾崎士郎には結びつかないような、滑稽譚とかエロ本とか言われそうなナンセンスな大人の夢想譚の様だ。尾崎士郎の名作「人生劇場」の前に出版されたはずだが、彼の作品集にも載っていないところを見ると、彼の不遇時代に彼のうっ憤を晴らした格闘時代の名残かも知れないと見た。ナンセンス譚の合間に彼の焦りと苦しみが思い知れるようで妙に心を打つ。