teoktyma の カート日記

カートで楽しむドライブ

モード転換

右足腰の調子が良くない。

右脚に脳梗塞後遺症の麻痺がある上に、室内尻もち搗きで右腰に気が付かない打撲症が残ったらしい。

整形外科に通ったが隔靴掻痒感で効き目はなさそうだ。

遂に生まれて初めて鍼灸指圧の門を叩いている。

具体的な症状は毎朝起き抜けに立つ時、右足腰が傍の机や杖に縋るかしないと、へたり込む様に感じる。

4輪の歩行補助器をベッドの傍まで押してきた方が良くなるか、遂には小型の車椅子を使うようになるかもしれない。

遂に今まで杖でのみアプローチできる幅の6畳間の書斎配置を、自分で出来る工夫で大改造して手押し4輪歩行器や手持ちの車椅子で出入り出来る幅を確保した。家内には両手が無いと出来ない作業の応援だけを頼んだ。車椅子が通れるようにとは、ショックだったろうからまだ言っていない。

この項を書いている間にもパソコンが度々再起動を要請するから、もうエンドも近いと思われる。

家内のwindows 7の後継パソコン用も含めて1万円のwindows10の中古パソコンを2台手配していたが、自分が居なくなっても孫たちの応援を得て家内が使えるパソコンは新しく買った方が良いと思い直したので、今自分の書斎には3台のwindows10が動いている。

老衰パソコンは騙しダマシ温存して置きたい。

f:id:teoktyma:20190920231517j:plain

狭いながらもワガ書斎!

 

台風15号の被害のささやか復帰

千葉県を始め関東各地の台風15号の深刻な被害が連日報告されている。

これらに比べると、わが家のカート格納テントハットメントの倒壊は微少だけれど、無いと困る。

実は一昨年の災害避難訓練にカートで参加して、その現実に気が付いた。

一昨年がカートで参加したのは2度目だが、避難場所が小学校講堂だとして、多くの市民の避難生活にカートを持ち込むのは現実的ではないと悟った。

イザというときは、南側の庭か北側の駐車場にテントを張って一家が生活できるように準備する必要があるなと思ったので、とりあえず組み立て自転車置きテント小屋セットを手配して置いたのだ。

台風でカート置き場が倒壊したので、実際にすぐ使えたのだ。

今度のテントはアルミ角パイプ材ベースのセットで、基本設計も優れていたが、非力なワガ身で組み立てられないので、追加補強も兼ねてシルバーセンターにお願いした。

2人で過半日掛かったが上出来!完成した。

組み立てキットは安価だが、補強と組み立て据え付けがキットの2倍近くかかったが、満足だ。

f:id:teoktyma:20190914220504j:plain

自転車3台分の大きさのテントのカート保管場所。

 

台風15号近傍通過!

大型台風15号が直撃するのではないかと、9日午前2時まで起きていたが、風もそう強くないので寝てしまった。

朝起きて窓から外を覗くと、もう何事無かったように静かだったが心配していた通りマイカートのテント小屋が崩壊していた。

土台はアンカーを打って固定して置いたが、構造的には既製自転車用収納テントだから、フレームのジョイントは差し込み式で辛うじてテント布と付属紐で結合しているので、風が吹くとバラバラになりそうで、この水曜日にはシルバーセンターから人が来て補強してくれる手はずだったのだ。

体が丈夫なら自分で難なくこなせるが、シャガミも出来ない身では人に頼むしかない。

f:id:teoktyma:20190909105301j:plain

風でバラバラカートテント小屋

 

皆川達夫さんの「音楽の泉」最新番組

「音楽の泉」番組は1949年昭和24年9月11日に堀内敬三さんが初められた時から実に70周年だそうだ。

1988年昭和63年10月23日から皆川達夫さんが引き継がれた「音楽の泉」番組がもう直30周年を迎えるとか。

1949年は自分は中学生1年生だった。

このころクラシック音楽は田舎の中学生に身近にある音楽ではなかったが、朝鮮京城で父がハイカラな国策公社員で母が公立女学校の教職にあったお蔭で、家にあった蓄音機と78回転のSPレコード音楽集で幼少より聞きなれていた。

敗戦で長門市日置・渡場(当時)の母の実家に転がり込んでからも、父が乏しい部品を集め何とか電蓄を作ってくれ、レコードは買えないものの、NHKの音楽番組を聞き漁っていた。

中学生になってから、日置に移り住んだ年に堀内敬三さんの音楽の泉がスタートした。

初回から聞いたかどうかは分からないが、毎週日曜日8時05分にはラジオの前に弟や父母など一家が集まった記憶がある。

以来、音楽の泉は第2代目の村田武男さん時代を含め、ずっと聞いてきたが、村田武男さん時代は自分が会社の戦士時代と重なり、印象が薄い。

今日の音楽の泉は、堀内敬三さんの10年間、村田武男さんの20年間、皆川達夫さんの30年間、過去3代に亘る番組の特筆演奏など鑑賞できた。

と言う訳で、既にご高齢の皆川達夫さんのご活躍に感謝申し上げるとともに、ご健康も心配もうしあげ、ここらが節目でもあろうかと憶測するのである。

 

生きると変化する

僕の場合、大腸内視鏡検査の事前大腸内清掃剤ニブロの利きが悪く、通常検査は日帰りの所を2泊3日になる。そんな軽い気持ちでノホホンと退院した日に、救急車のお世話になってもう直ぐ2週間になる。

生まれて初めて胆石の痛みを味わい、鎮痛剤で急場は凌いだものの、いつ再発するか分からない事項をまた背負った訳である。

また、自分の悪癖!得意の対処療法、即実行。しかし、胆石は一筋縄ではいかない。

出来ることは、まず水を十分飲み、排尿のメカニズムを即すこと。

次に尿を弱アルカリ性にして結石する要素を増やさないこと。

つまり、生きるという事業の心得そのもの!

三っ日坊主だろうが、即実行は①コーヒー断ちのカフェインレス。

②過活動膀胱の排尿を恐れず水を飲む。幸い今の処方薬で排尿状況は4~5回/日と快調。

③アルコールレス。現在、入院含め2週間で右足の浮腫みも無くなった!

カートを使って、南部病院への40分通院をはじめデンタルやリハビリ通院はこなして、Gグラウンドゴルフは再開した。

 

 

Gゴルフ部プレイボール!

長い夏休みが明けて本日09:30プレイボール!

一足早く09:00~、近くのファミマに急ぎ、会の菓子類を買いに走る。

09:30に5人が集まり、コート準備も終わって、大木の木陰のベンチ・テーブルで爽やかな秋風に吹かれていると、本日の最高気温が32℃と皆知っていて、自然発生的に「今日の暑さでは身に堪える」ので無理は止そう!となって、談話会に切り替えた。

96歳ID氏、91歳KD女史とYD女史、83歳IU氏と自分。木陰の風に吹かれて、介護施設あれこれ話。

YD女史は1年前熊本の家を畳んで娘さんの婚家に同居中。

まだ、足腰も元気で独りで通院などはこなしておられるが、心中元気なうちに老人ホームに入りたいとか!まだ介護支援認定も受けておられないので、そんな話しをサジェッションなど。

そんな話に詳しいIU氏が、ためになる話を色々!勉強の場でもある。

 

 

こんなことってあるんだあ 退院の日に救急車!

先月の前回の大腸内視鏡検査で見つかったポリープの処置のため今週初め2泊3日の入院をした。

退院日が29日水曜日。

タクシーで予定通り11時ころ退院した。

17時ころになって、急に右わき腹が痛くなった。

今まで経験のない痛さだ。

退院後だから、いつもの焼酎と言う訳にはいかん!

寝ていれば治るだろうとベッドに寝ころんでいお腹をあちこち押してみたりして、原因を推定してみたが、分からない。

ヒョットして、内視鏡による腸捻転を疑ってみた。

鎌倉の深沢市営住宅に住んでいた若いころ、近くの梶原住宅口の理髪屋さんの若旦那が、腸捻転を見誤ってその夜のうちに亡くなった悲劇を思い出したりした。

夜20時ころになって、これはただ事ではないぞ、と南部病院へ救急の電話した。

タクシーでも、自家用車でも、あるいは救急車でも良いから救急外来窓口にいらっしゃい。

息子は帰っていない、嫁さんは入浴中。

救急車を頼んだ。

救急車の中で一応の診察を済ませ、病院に着いたのが24時ころ、若い医療スタッフ達がキビキビと対応してくれ、CT(だろう)の画像やX線撮影を終え、元の診察室に戻ったのが、夜中の1時半。

若いお医者さんは「原因がわかりました」「まだ小さいが、胆石です」と言った。

思いも寄らない。これにはビックリ!この痛みが胆石かあ!

点滴準備も済んでいて、ここから鎮痛剤を点滴して、解放されて、何とかタクシーで帰宅したのが、午前2時過ぎ。救急車で良かった!胆石が見つかったのはラッキー!

内視鏡の佐藤先生、疑ってごめんなさい!

救急の先生、スタッフの皆さんありがとうございました。