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横浜市電の思い出

現在横浜市バスで自宅から横浜駅東口までの経路路線を巡っていると、自分が車に乗るようになった1938年から1972年に横浜市電が全廃になるまでと、市電全廃になって道路に敷いてあった御影石や枕木の放出時期の街の様子の今との変化が思い出される。

鎌倉・笛田から川崎市の第2国道・玉川大橋の麓の会社までスバル360や日産サニーなどで通勤し、行きは最短距離になるよう探した抜け道を走り、帰りは他の経路を探検したものである。

当時は敷石が敷設された電車道以外は舗装個所の方が少なく、フランク永井が歌っていた国道2号線ですら川崎の国道16号線とを結ぶロータリーはじめ未舗装の凸凹道が多かった。

横浜市電国道16号線上の終点は確か「天神橋」鎌倉街道では「弘明寺」までで、鎌倉街道は地下鉄工事が終わるまで、立ち退き農家が道に残るような年がら年中工事だらけであった。

いろいろな抜け道の思い出や商店街に入った時のエピソードなど、バスの窓から見た街の思い出に、興味が尽きることがない。

市電が残したかったと思うけど、当時の横浜市は市電負債がひっ迫していて、全廃して辛うじて脱出したようだ。