紹介:詩人秋野さち子(従叔母)の詩

金子みすゞと同世代の西城八十門下の詩人の詩を紹介

'21-2-3日 詩集「夕茜の空に」より

 下弦の月

朝明けの青い空に
くっきり浮いている半かけの月
弦を右にして
少し上向きの横顔は
やがてその弦をかきならし
真昼の海原に
燃える口づけをするのか

深夜の空に昇りはじめる時
その弦には
今日の詩がすでに籠められているのか
未来も過去も
一目で見渡せる宇宙の高みから
諍いの続く地球への呼びかけは何か

朝明けの青い空に
弦を傾けて口ずさんでいる
聞こえないその詩に耳をすませる

人はあなたを
有明の月と呼ぶ

 

'21-2-2 詩集「夕茜の空に」より

上弦の月

「詩人は月に一度か二度、死について考える」
どこかで聞いた言葉だが
若い時から私はもっと繁く
事あるごとに死に親しまれてきたようだ。
それが今、平均年齢を越えて
まだうろうろしている。
聞けば誰でも、瞬間
ちょっと身じろぐ名前の病名をもらって
生き甲斐ではないが
死に甲斐のような
平安な似た気持ちになっている
まだ痛みが来ない所為かもしれない。

見上げる晩秋の青い空に浮かんでいるのは
向こうが透けて見える
淡く白い上弦の月
あの向こうは何だろう
この静けさは何だろう
過ぎた戦の日々に
生き甲斐を抱いて散ったいのちを思い
誰をも身じろがせる死に甲斐に添えて
老いた心は、せめて
同じ病のいのちへの平安を祈りたい。

風は銀河を渡ってくるのだろう
こんな夕に
私の脳髄や皮膚がはがれて
夕風の中を舞い上がってゆけばいい
気障でなく
書きかけた詩のひとひらをのせて―

 

'21-1-30詩集「夕茜の空に」より

白い館 2

ここにも、赤い三角形を
三つあしらった標識がある。
この標識に囲まれた白い館が
わたしのいのちの城なのか。

まずは、型とりの儀式、
十三階段ではないが
五つ六つの階段を
横たわるシェルターでは
薄衣に似たガウン一枚の裸身に添って
発泡スチロール状の片々が隙間を埋める。

白衣の人達の優しいしぐさで
眼は覆われる。
やがて、すべての気配が遠のいた頃
暖かい霧がしのび寄り
次第に熱をともなってくる

これが棺の中の焼却炉の道筋か、
覆われた瞼の向こうは
暗いようで明るい
飛び立つ前に聞こえるものは
空へのともづな揺れのようだ
どれほどかの経緯があり
鳥にはなれなくとも
昏れない空の
等身大の鋳型に向き合わねばならない。

'21-1-27詩集「夕茜の空に」より

「白い館」ー重粒子線棟

誰に決められたのか、知ろうともしないで
長い長い廊下を通って
地下へ地下へと下り
誰もいないこの白い壁に囲まれた室内に
何故か、不安氣もなく
わたしは坐っている。
応接間のような優しいソファと
椅子が何脚かあり
白い壁に絵がかけられいて
それがルネ・マグリットに似ているからか
似ているように思うからか。

誰かがわたしの背を
車椅子の背を押してきて、いなくなった。
私は透明な気体になったようだが
あの細胞達は目覚めているか。
何を待っているのか、言葉が溶けても
心では問いかけることが出来る
いのちの空洞の中で
透明な気体のみじろぎは自由なようだ。
それでは、あのい長い廊下は
彼岸への渡殿だったのか。
だから、誰もいないこの白い空間に
不安氣もなく
わたしは坐っている。

'21/1/25詩集「夕茜の空に」より[小豚に乳首を」

[小豚に乳首を」

[小豚に乳首を」
片手に自分の子供抱き
もう片方に抱えた
親を亡くした子豚の口に
ふくよかな乳房をふくませて
授乳するグアジャ族の母親、
この写真を新聞紙上に見た時、胸がつまった。
悲しくも私には授乳の経験はないが
見つめていると自分の乳首に疼きを感じる。

豚の乳を貰ったことはないが
牛や羊からは
人間は沢山の乳を貰っている、
けれど牛や羊に乳のお返しをしただろうか
そして豚の子供に
直に自分の乳房をふくませるとは―
この哀しいまでの優しさに私の胸はせまる、
このストレートな想いを
甘いと笑うものはないはずだがー

今 この現実があったら
私はなにをしただろう
何かを与えようとは考えていても
自分の乳首をふくませるだろうか
我が子も子豚も
同じ地球に生きる仲間として
暖かく抱くこの母親の前で
身内をよぎる戦慄は 私に恥ずかしさを教える。

この母親は、 私のひそかな願いを入れて
今日も、小さい庭のしたる藤の花房のもとに
魂をゆするその姿態をただよわせている。

 

 

'21/1/24詩集[夕茜の空に」より

「夕茜の空に」
日は翳ったが 夕茜のただよう中に
おさな声が ひびいてきた
 おかあさあん
少しはなれた答えの声も聞こえる
おかあさあん と  
わたしも呼び続けた覚えがある
むかしむかし 母がまだ美しかった頃

わたしは末っ子だったから
母はいつもわたしのそばにいたと思う
縫物をしたり 花を生けたりしながら
自分が読んだものを
おとぎ話のようにやさしく話してくれた
その中に 源氏物語巌窟王、釈迦一代記が
あったことを大人になってから知った

優しかった母 けれど昔の母は
優しいばかりではなく厳しさもあった
そういう母を今 思い出したのは
幼な声の
 おかあさあん
夕茜の空にその余韻を追っている

Ⅲ(1956-1968)より「塀」

「塀」
塀にそって歩いてゆく
長い塀 角をまわって塀はつづく
塀には落書きがしてある
爪あとがある ペンキがぬりたくってある
それを撫でて歩いていると
ふと 塀にばかり添って歩いていることを忘れている時がある

このかこまれた塀の中
ひとまわりしてまた元にもどってゆくようだ
けれど落書きは違っている
ペンキの色も複雑になった
坂があったり階段があったり
だから塀は限りなく高く感じたり
苦もなく飛び越せそうに思えたり

ここに深くえぐられた爪あとがある
爪あとに爪をあてゝえぐって見る
爪に食い込む石のかけら
爪は痛い 疼いて血が流れる
しかし 小さな穴をあけなければならない
亀裂の生じるピシッという音が聞きたい