わたしと乗り物
今週のお題「わたしと乗り物」
今から15年前、会社時代から仲が良かった親友4人と、久しぶりに会った新橋の居酒屋で、ビールで乾杯して間もなく自分は酔っぱらい状況になった。
僕の1年上の先輩で、すでに定年を迎えていた営業畑のYNさん、まだ営業部現役のKNさん、元私の技術課に居て営業部に転出のKBさんたちと一緒だった。
僕があまり飲んでもいないのに酩酊状態になったので、タクシーを呼んで鶴見のKBさんが拙宅まで送ってくれた、等に始まった僕の脳梗塞発症と15年に及ぶ右片麻痺との格闘記だ。
発病当初数年間は杖は突いて歩き、ワイフを含めた水彩画仲間たちと何年間か安曇野にスケッチ旅もしたり、近所の老人会仲間とグラウンドゴルフをプレーしたりした。
数年前、老化を含め右片麻痺が身に堪える様になって、介護保険で電動カートをレンタルし始めた。
電動カートは道路交通法の位置づけは、ヒト格で基本的には車格の自転車と違い、右側通行で歩道を通らなければならない。
介護保険でレンタルできる電動カートの構造は、走行中にはハンドル横のアクセルレバーを押し続ける(アクセル手を離せば止まる)必要があり、速度は毎時0~6kmのノッチが表示されているだけである。走行距離計はない。
おおよその走行距離は6kmノッチで10分走れば1㎞と云う風に、速度と走行時間で記録する。
当初から走行累積距離の記録がしたかったので、面倒だが走行速度毎時6㎞の所要走行時間と所用の行先を付けて記録してきた。
これを毎月介護保険のケアマネジャーさんとカートのレンタル元に報告している
ここまで6年間で累積走行距離は実に約4,330㎞になった。北海道宗谷岬から鹿児島県佐田岬までカートで往復する以上であろう。
しかし車ではないという位置づけからか、屋根も覆いがないし傘は手持ち差ししかないなど、雨風への耐侯性がないので、運転ボックスには雨除けの透明ホロをかけて、人は合羽を着る必要がある。
僕は右片麻痺だから右手で傘を差し、左手でアクセルレバーを操作することは不可能だ。
そこで、レンタルカートに穴をあけたり、変形を加えることなく、100円ショップで部品を買ったり工夫して、必要な治具を研究し取り付けてみた。
去年は夏用の着脱式簀の子日陰屋根、今年は傘差し治具などで、マイカー並みの可愛がりようで、車運転免許証を放棄した代替えの交通手段であり、老後の喜びでもある。